2009年08月06日

なぜ「矢富熊一郎」の名前が出てこない?

なぜ「矢富熊一郎」という名が出てこないのか

 先日のブログに、このあたりに郷土史に少しでも興味のある人なら、必ず一度や二度はお世話になっている「矢富熊一郎先生」の記事を書きました。

 今日の新聞に、益田市民名誉市民選考審議会が、益田市出身で、NHK大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」の脚本を手掛けた田渕久美子さんを名誉市民に選ぶよう市長に答申したという記事が載っていました。

 田淵さんが12人目の名誉市民だそうですが、それで、以前のブログ「益田市の研究」に「なぜ「矢富熊一郎」の名前が出てこない?」というタイトルで記事を書いたことを思い出しました。

以前の記事

 以前から言っていることなのですが、益田市近辺で「郷土史」に多少でも興味のある人なら、「矢富熊一郎」という名前を知らない人はいないと思います。

 その著作のカテゴリは多岐にわたり、その数も共著や投稿記事を掲載したものを含めると数十冊に及んでいます。特に、益田町史などは、当時の益田町のみならず、周辺の吉田町、高津町の記述もあり、大掛かりな資料を最初に纏めている本だけにその苦労は大変であったと思われます。

 今と違って、録音機材もなく、コピー機もなく、もちろんインターネットでの資料検索など思いもよらなかった時代に、これだけの著作を残された偉業は、益田市周辺に住む者にとってかけがえのないない貴重な財産です。

 斉藤茂吉、司馬遼太郎氏の著作にも、「矢富熊一郎」の名が見えます。この二人の碩学をもってしても、「矢富熊一郎」に一目を置かざるを得なかったのです。

 過去に「名誉市民」の称号を贈られた方々の業績を凌ぐことはあっても、劣っていることはないと思われますが、今まで候補にすらあがった記録はありません。

 これが不思議でなりません。

 以前、矢富熊一郎氏の全著作を調査したことがあり、そのリストを作成していますが、整理が不得手で、発見することができませんでした。

 周辺の資料で確認できた著作のみですが、列記しておきます。

石西国道史
謎の高島
柿本人麻呂と鴨山
益田市史島根県方言辞典(広戸惇 矢富熊一郎 共著)
小篠御野
益田町史
益田市史
石見匹見町史
石見染羽 : 天石勝神社史
石見清滝山 万福寺史
安田村発展史 上・下
浜田藩
長州征伐石州口戦争
道川村史
益田七尾城史
石見鎌手郷土史
石見匹見町史

以上、以前の記事を転載

 そうそう、実は最近のことですが、益田市出身ですごい方がいたしたことを知りました。 次は、その方について少し書きます。


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